音楽と人と自然はいつも無限大。…そして『石川大地』も。 音楽と人と自然を愛し、独自の世界観を作り出すシンガーソングライター『石川大地』のブログ。

石川大地と音楽と自然と。

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DALIとB&Wと音と石川大地と。
ここ最近、スピーカー一式を購入したいと思い、
時間を見つけてはオーディオ屋に足を運ぶ事も多い。

現在使用しているスピーカーは、
いわゆる市販のコンポタイプで、
音質も機能も悪くはないが物足りなさは感じさせる。

オーディオ屋に置いてあるスピーカーは、
数も多ければ音質も異なり、値段もピンきりだ。
特に値段に関しては上を見たら限りがない、青天井だ。

DALI HELICON

そんな中で二つのスピーカーが際立って耳に残った。
DALIB&Wだ。
オーディオに詳しい人なら聞いてすぐ分かるような
有名ブランドなのだが、そういのに無頓着な大地としては、
ほぼ初めて知ることになった。

DALIデンマーク製の有名ブランドで
HELICON/ヘリコン』シリーズで有名でもある。
シリーズ名Heliconは、
古代ギリシャ神話に登場する山岳地域、
科学と芸術をつかさどる女神Muses(ミューズ)が住んでいた
とされる秘境の地に由来している。
天空の主神Zeusの娘である9人の女神は、
芸術と科学のさまざまな分野に秀でており、
インスピレーションの源として崇拝されていた。
そしてMusesMusicの語源となったという。

HELICON800

そんな名前の由来を持つHELICONの音質は
極めて優しく、温かく、そしてうねりを感じさせる。
独特な細長いフォームから成り立つ音は、
無限の許容量と底なしの広がりを感じさせる。
特に低音のうねりが非常に心地よく、
倍音がスピーカー内部で響いている感じが良く分かる。

POPSやリズムの早いROCKなどを聴く場合には
少しオブラートに包まれた感のある音質が邪魔をして、
ノリを少し遅らせてしまい、もたつきを感じさせてしまう。
でも、アコースティックなサウンドの多いクラシックやインスト、
生楽器を流した時の臨場感と温かさは言葉に表せないほど。
一度スピーカーを通して聴いた直後にあまりの感動に
体が硬直してしまったほどだった。
デモンストレーション用に置いてあった
Kenny GCeline Dionの壮大な音に心を打たれた。
スピーカー一つ違うだけで、
これだけスケールも違ってくるのかと心底驚きもした。

一方、B&W800シリーズで有名な
ビートルズがアビーロード・スタジオでモニタースピーカーとして
使用してたという名品。
HELICONと違って、
よりPOPSやROCKを聴くのに適している。

音の抜けが非常に優れていて、
とにかくストレートな音質が体験できる。
そしてデジタル機器を使用した音や
人間の声などに関しては、
優れた広がりとレンジの広さを示してくれる。

ダイアモンド・トゥイーター技術(Diamond Tweeter Technology)を使用している。
スピーカーにおいて通常はアルミ・ダイアフラムの使用が常識だが、
このスピーカーではポリクリスタル(多結晶)構造の
人工ダイアモンド・ダイアフラムを使用し、
それは天然のダイアを上回る純度を持つといわれている。
ちなみにダイアフラムとはスピーカーの振動板のこと。

KEIKO LEESOWELなどを視聴した際には
そのレンジの広さと抜けの良さで
ついつい店で視聴しているのを忘れてしまうほどだった。
壁に四方を囲まれているこじんまりとした部屋ではなく、
人も雑音も多く、音が逃げてしまうようなお店の環境で、
あれだけの音質と輪郭を発揮できたということは
それだけスピーカーのポテンシャルが高いということだ。

今までスピーカーに興味を持つこともなく、
それより楽曲や音源にのみ音質の追求をしてたのが
ちょっと今回の出逢いで少しだけ思考を変えさせられた。
スピーカーもギターと同じ。
やはり鳴りが重要になる楽器やスピーカーでは、
使われる材質や環境、温度、湿度、構造によって
音質も大きく異なってくるのだと
改めて実感させられた。

質の良いものは値段までも良い値がついてくる。
それすなわち世の常。
これらのスピーカーは一式で購入するとなれば、
HELICONB&Wもお互いに130万から150万は必要になる。
そんなに簡単に手が出る代物ではない。
一度聴いてしまうと、音質の良さの虜になってしまう。
それだけの衝撃はあった・・・がとにかく高価である。



姉さん、音楽も良いものとなるとキリがないです(笑)



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| 音楽 | 12:26 | トラックバック:0コメント:0
線香花火が呼ぶ晩夏と石川大地と。
先日は井の頭公園で身内数人で花火をしてみた。

周りには大学生のサークルやらカップルなど
花火を楽しんでいる姿が目についた。
コンビにで購入した花火というものは
基本的に派手なのはなく、ほとんど地味~なのばかり。

最初は花火を着火し、
人(大樹)に火を向けて遊んだりもしたが、
次第に派手目の花火も少なくなり
やがて、線香花火に手が伸びるようになる。

線香花火

線香花火をやっていて思ったこと。
火の玉(アレは何て呼ぶのだろう?)が落ちるまで
風や揺れから花火を守るわけだが、
落ちる瞬間になると、

あっ・・・!?

って誰しも口に出す。
傍から聞いていて次々と口に出されるその言葉が
妙にその空間にマッチしており、
48時間以上寝ていなかった体調というのもあり、
しばらく皆の「あっ・・・!?」という声が
頭の中をグルグルこだましていたりいなかったり。


カナダやオーストラリアには花火はない。
花火はFire Workと言って、
何かしらの大きな大会やイベントがある時には
膨大な費用を設けて大々的に行われるが、
個人的に花火を楽しむという風習はない。
やはり花火は日本人独特の娯楽だったりもするのかな。

派手な打ち上げ花火とかは
誰が見ても楽しめて、実に迫力があり綺麗だ。
外国でもイベントやパーティーの席では見る事もあるが、
線香花火をしゃがみこんで楽しんでいる人の姿は見た事はない。

線香花火などの地味さを代表する(?)花火は
を大事にする花火なんだと思う。
着火し、小さく静かに火花が散り、
それが落ち着いて火の玉となり、
地面に落ちるその時まで、
じっと眺め、実に大切に、大事そうに見守る。
そして火の玉が落ちると「あっ・・・」と口に出す。
もし外国で線香花火が親しまれれば、
きっと火の玉が落ちる瞬間にはoh・・・!?ってなるのだろうか?(笑)



これって日本独特のものがあると思う。
考え方や音楽もスポーツもそう、外国のそれとはまったく違う。
『間』を美徳とする日本の芸術や日常には
諸外国にない、儚さや美しさがある。

『間』は音楽を作る上で非常に大事。
『間』が休符となり、リズムとなり、
そして独特な空間を作り出すこととなる。
線香花火の儚さや美しさを思い出し、
今一度そんな曲を書いてみるのもいいかも。

あっ、結婚式で歌う曲、早く作らねば・・・。
| 想ふ処 | 17:02 | トラックバック:0コメント:6
睡眠と夢と石川大地と。
人は何故眠くなるのか?

Claudia Pastorius / 2002- Landscape of Light- DREAM IN PURPLE

むかし、そんな著書を読んだ記憶がある。
人の体のあれこれについて、
素朴な疑問についてなど、
なかなか端的に、でも色濃く書かれていたように思う。

ここ最近は睡眠に対する欲求を忘れてたように思う。
睡眠時間を十分にとるのを忘れている事もあれば、
知らない間に長時間睡眠していた事もある。

ただ、日々の中で必要とされている睡眠は
二通りの睡眠によって成り立っているのだと思う。
基本にあるのが、義務的な睡眠。
「もう寝なきゃ」「○時に起きなきゃ」などの
逆算的な考えに基づいた睡眠の入り方。

もう一方は、
何も考えていない状態で眠くなる睡眠。
夜になると、自然と眠くなったりする、いわゆる健康的な睡眠。

後者の方の睡眠では、
実に深く、そして心地よい睡眠を得られる事が多い。
そして何よりも夢をみる事が多いように思う。

では、

人は何故夢を見るのか?

夢について調べてみた事がある。
夢についての著書もいくつか持っている。

個人的に思うところでは、
夢とはゆとりのある睡眠から得られる映像が放つ記憶であると思う。
義務的な睡眠の中では、ゆとりを持てず、睡眠中に映像を放ち、
それを記憶するだけのキャパシティがない。

どんなに浅い睡眠でも、
実際は夢を見ているらしい。
ただ、それを起きた後も覚えている事はほとんどない。
体が記憶出来ていないからだ。

夢を記憶しておくと、
時々、夢で見た光景を現実の世界で垣間見る事がある。
俗に言う
デジャヴ
今まで相当数、夢で見た映像の具現化を経験している。

夢はある種の予知夢である、
そういう見解もあるという。
その中で最も科学的に検証されているのが、
テレパシー能力なのだという。

睡眠者の自らの記憶を発信している、という事実が
科学的な実験により検証されていたのである。

Jonh Lennonが作曲したTHE BEATLESYesterday
この曲はジョンが寝ている間に聞こえた旋律から
生み出されたとされている(本人談)。

やはり、何かしら夢の中で起きている出来事は、
現実の世界と繋がっているように思う。
自分の体が発信する映像なのだから、
自分の体や精神を顕著に表している部分もあれば、
何かしら、暗示的な意味合いもあるのに違いない。

人が疲れ、睡眠不足に陥り、
やがて、誰も夢を見なくなる。
そんな現実世界が近づいているようにも感じる。
そうなったとき、
人は夢と現実の垣根を知ることも出来ず、
秩序のない世界へと様変わりしてしまいそうな気さえする。



それは紛れもなく自らが発信している何かしらの記憶。
それを記憶し、何かしらの軌跡を辿れば、
もしかしたら、何か違う形での自分と出逢えるかもしれない。

今夜はひとまずゆとりを持って自らを夢へ誘ってみよう。

何か一つ、記憶の欠片を発見できるかもしれない。



単純に眠いのでこんな題にしたけど、余計に眠い(笑)

| 想ふ処 | 18:59 | トラックバック:0コメント:2
『新党大地』と政治と石川大地と。
ちょっとどうでも良いこと。
でも気になって仕方がないこと。

基本的にあまり政治には無頓着で
自発的に選挙に行く事もなければ
政治人に対して大きく興味を持った事も少ない。
堂々と言い切るが、立派な非国民である。

国会議事堂~新党大地結成~

つい先日のこと。
新党が立ち上がった。
新しい党である。

新党大地

ネーミングセンスなさ過ぎでしょ。
新党宗男でいいじゃない?
わざわざ『大地』って名付けなくても・・・。

新党大地(しんとうだいち)とは,
かの鈴木宗男元衆院議員
2005年8月18日に結成を発表した北海道の地域政党である。
2005年8月30日公示、9月11日投開票の、
第44回衆議院議員総選挙に比例代表北海道ブロックと
小選挙区に複数の候補者を擁立する予定だとか。
そして、一番核心である(?)党名は同郷の親友で、
シンガーソングライターの松山千春と決めたというじゃない。
・・・親友って??

税金を必要以上に無駄に浪費した元議員が新党立ち上げて立候補。
議員も議席を確保しないと生活もできないのかもしれないけど、
税金を無駄に流用していた議員に再び議席を設けるのは如何かと。
辻元清美氏も立候補を決め、議席確保に向けて再チャレンジする。

小泉政権が掲げる郵政民営化などで
立案に造反組みが反対し、
衆議院解散となった今回の選挙。

政治家の先生方はみんなどこへ向かわれるのでしょう?
日本国を良くするのがお仕事のはず。
掲げるスローガンや価値観は違えど、
日本をより良い国にしていこうと思っての政治じゃないのか?
もっと一貫した政治体制というものを見てみたい。

政治に疎い上に興味もあまりないが、
日本人としては気持ち悪さを感じてならない。

野次や咆哮ばかりしか聞こえる事のない国会。
自分を含めて、政治に関しての国民の無知さ加減も
無視できないところも実際はあるけど、
あの国会風景では国を良くしようという意識さえ生まれないかも。


というよりも、


新党大地


ちょっと名前変えてもらえませんか?


| 想ふ処 | 12:29 | トラックバック:0コメント:2
台風が呼ぶ季節の変わり目と石川大地と。
台風が接近しているらしく、
いつになく大粒の雨が落石のように
地面を叩き続けている。

一粒一粒の雨粒が地面に弾ける音。
大雨が降るときにしか聴けない強い雨音。
アコースティックギターPCキーボードを叩く音が
部屋中に優しく響き渡る。
異様な組み合わせだけど、何だか意外と落ち着く。

雨音が静かに部屋に響き渡る空間に、
暖かなアコースティックギターの音色。
とても心地よく静かに共鳴する余韻の音。

台風の到来と共に、
秋の到来を予感させずにはいられないくらい
今日は肌寒いくらい気温がいつもより低い。



日本特有の季節感が彩る秋色。
に彩る木々たち。

良く行く井の頭公園では
春を迎えた直後の桜模様も見事だが、
また朱色に染まる紅葉を眺めるのも、
またとても気持ちがいい。
秋になれば、気候も過ごしやすい事から
マイギターを連れて公園に行く事も多い。

これから秋を迎える

今年の秋が生み出す音はどんな音色なのだろうか。

夏から秋へ。
秋から冬へ。

この時期が一年を通して一番好き。

足元まである長いロングコートを着る季節へと向かう。
今年の秋はギターを片手に、どこを歩き回ろうかな。


| 想ふ処 | 12:56 | トラックバック:0コメント:0
結婚と曲作りと石川大地と。
来月、某結婚式披露宴場で
新郎新婦のために作った曲を唄いに行くことになった。
結婚式で唄う機会の多い大地としては、
今回が初めての機会というわけでもないが、
いつもながら、実に微笑ましい気持ちになる。

Martin愛用指弾きギター

以前、帰国してからずっとバイトをしていたお店
cafe de 伊万里
で一緒に働いていたI根さんがこの度、
なんと結婚してしまった!?
長年お付き合いしている彼女さんと
籍を入れたそうで、来月結婚式が執り行われる。

いや、実にめでたい。

心から拍手、激励の言葉を贈りたいです。
周りにいる親しい人が結婚するのって
何だか微笑ましいというか、こっちが嬉しくなってしまう。
これからの結婚生活、
山あり谷ありかも知れないけど(←これ余計かな?笑)
本当に愛し合う素敵な夫婦でいてくださいね。

結婚することは何を意味するのか、
当たり前だけど、未婚の大地には知る由もないけど、
きっと幾多の困難もあって大変なんだとは思うけど、
それ以上に素敵なことなんだとも思う。

夫婦になることで、独身の時に比べて、
苦労が2倍に感じることもあるが、
その分、幸せも2倍に感じるという。


そんな新しい門出を祝う新郎新婦のためにも、
ここは一つ、一生の想い出に残るような
素敵な曲を書こうじゃないの、と意気込んでみたり。

人の人生に残せるような曲を創ることは
創る側としては、これ以上にない喜びを感じてならない。
シンガーソングライター冥利ってやつ?

夫婦という素敵な誓いの言葉に負けないような
そんな素敵な曲作りに挑みたいと思います。

どんな曲ができるか、自分でも非常に楽しみでならないかも。


| 想ふ処 | 22:14 | トラックバック:0コメント:0
夏の終わりと海と屋久島と石川大地と。
早いもので、もう2005年の夏も終わる

夏には様々なイベントや催しがあって
とても郷戸色の強い季節でもある。
毎年、花火大会があり、お祭りがある。

人の多いところが苦手な大地は
決まって人の多い場所を避けては
人気の少ない、静かなところへ出かける事が多い。

滅多に行く事のない海でさえそうかも知れない。
静かに吹く、潮の香りのする風をに耳をたて、
静かに打ち寄せる波のささやきに耳をたて、
海の周りに息づく小動物や、旅途中の渡り鳥たちを眺め、
妙に海と、自然が与えてくれる一体感に浸る事が多い。

送陽亭から見た海岸

屋久島の海はまさにうってつけの海だったように思う。
これはまた送陽亭さんのすぐ真裏に位置する浜辺。
透き通った綺麗な海水がエメラルドグリーンに彩られ、
白く、粒の大きい砂が、太陽光に照らされ、まるで宝石のように輝く。

あまりにもその綺麗でいて、存在感のある、大粒の砂が目について、
空いたペットボトルに砂を詰めて持って帰ったほど。
今では何故か棚の上に、お酒の瓶と一緒に並んでいるけど(笑)

送陽亭の海岸

人が多くて、海水も砂浜も汚れてしまった海は
今後とも特に行く機会もないと思う。
でも、本当に自然な潮風に当たりたくなった時には、
また自然と屋久島や、その他の綺麗な海へ趣き、
その綺麗な砂の上をゆっくりと歩いている事だろうと思う。

近々新島に行く予定があるとかないとか。
そこでの新しい海との出逢いに
また一つ、何かを感じてきたいと思う。
(しかし新島とはどんなところ?笑)


| | 11:21 | トラックバック:0コメント:0
送陽亭→屋久島空港と屋久島猿と炎天下と石川大地と。
今年の夏は9月下旬まで続くと言われている。
さすがに夏を受け入れ始めたといっても、
これだけ連日こうも暑いと、嫌気も差してくるほど。

今日のお昼、太陽が照りつける中、
汗を流しながらに買い物を済ませ帰宅中に思った。
屋久島の澄んだ青空を突き抜ける太陽の照りつけの比ではないな、と。

南の島、屋久島に行ったのが初夏というか、夏前だったか。
季節的にも、暑さはまだ本格的ではなかったが、
さすがに亜熱帯地域の南の島だけあって、
気温で見ても、その頃の東京の比ではなかった。
ちょうど今の東京の温度(30度強)くらいはあったんじゃないか?

3日滞在した中、最初の二日は雨に見舞われたが、
最後の日は、もう照りつけるような太陽の下、
ほとんどクーラーも効かないような車で、
島を一周できる道沿いをひたすらに窓を全開にして走らせた。

送陽亭正面

お世話になった民宿、送陽亭さんを出て、
反時計回りに間逆に位置している屋久島空港へ向かう。
『送陽亭』さんの永田という部落から空港までは
寄り道しないで、約2時間ほどか。

そんな島を一周する一車線分ちょっとくらいしかない道幅の、
国道、西部林道沿いに車を走らせていると、
屋久島に生息する、小さな猿の群れに遭遇した。

屋久島猿だ。

屋久島猿1

体長が通常の日本猿に比べ、
約三分の二くらいしかなく、
非常に小さく、性格も至って穏やかな猿である。
近くに寄っても逃げる事もなく、
ただ、じっと太陽光を浴びては
気持ちよさそうに日光浴を満喫している。

それぞれの毛繕いをしている猿の群れは、
あまりにも不自然なほどに穏やかだった。
その中で一頭。
毛を繕ってもらいながら、
日光浴している一匹の猿がいた。
何よりもその猿のこの上ない幸せそうな寝顔が印象的だった。

当たり前だけど人間では考えられない話。
こんなに照りつける太陽の下で、
どんな穏やかな顔して寝れるだろうか。

屋久島猿恐るべし。

屋久島猿アップ

| | 14:15 | トラックバック:0コメント:4
サッカー日本代表と石川大地と。
何を隠そう、大地はサッカー狂である。

サッカー日本代表

小さい頃からサッカーはやってたりして、
高校のときに膝の怪我をするまでは
毎日近く近くのサッカー場に行っては
一人ボールを蹴って練習に励んでいた。

昨日はW杯最終予選の最後の試合。
グループ1位突破を狙う日本イランの戦い。

結果は 2vs1 日本勝利

実に良い試合だった。
終始日本が攻め、イランに攻撃の隙を与えず、
積極的な見てて楽しいサッカーだった。

今や日本で一番根強く人気のある野球の人気が
日に日に低迷してきている中で、
サッカーはどんどん人気が上がってきている。

おそらくその理由としては
国を代表する試合が野球には少なく、サッカーには多い。
その違いなんだと思う。
やはり、自分の国を応援したくなる気持ちは
国民であれば、誰しも思うところ。
自国民がフィールドで頑張っているのを見れば
おのずと応援もしたくなるし、つい熱も入ってしまう。

サッカーのサポーターの応援を見ていると、
とても暖かい気持ちというか熱い気持ちにさせられる。
知らない人同士が集まり、語り、熱の入った応援をする。
いいじゃないか。素直にそう思える光景。

オーストラリアに住んでた頃に学んだこと。
スポーツは友情を強くさせる。

応援している立場にしてもそうなんだと
昨夜TVを前に、一人ふとそう思った。

サッカーファンのみなさん。
一緒にサッカー日本代表を応援しましょう♪

一人より何人かで見るサッカーは数倍面白いですから。

W杯本選頑張れっ、日本代表!!!!
| 想ふ処 | 13:19 | トラックバック:0コメント:0
夏の暑さと石川大地と。
前にも書いた事かも知れないけど
昔から夏の暑さが苦手だった。
暑苦しさが、息苦しく感じ、
そのためか、意識が少し朦朧とする。
そして、暑さ凌ぎのため、部屋に籠るようになる。

なんだか引き籠りみたいなヤツだと勘違いされそうだけど
事実、そんなに大差なかった事なのかも知れないし。

小さい頃は極寒の地、カナダで過ごしていたこともあり、
やはり空気の透明感や冷たさが肌に合い、過ごし易かった。
息をする度に吐かれる白い息が、何となく、何気なく好きだった。

寒さに寄り添う人たちで集まってゆく家々。
毎晩がパーティーのような、そんな空間がそこにはあった。
人と人の繋がりを大事にし、そして自らの家庭や家を大事にする。
きっと寒さによる、独特のコミュニティーがあったのだと思う。

北海道の話とかを聞くと、
やはり北海道の人たちも、それに近いところを感じる。
住みながらに、人々はおのずと知っていったのだと思う。
寒い環境が人の温かさ、温もりをより感じさせるのだと。


日本の夏は暑いだけではなく、
湿気も高いことから、不快感を誘う。
日陰にいても、熱気が込み上げ、
屋内に入れば、ギンギンに冷えたクーラーに体を晒す。

特に小さかった頃なんかは
この独特な暑さを非常に不快に思い、
夏は家で大人しくしているもの、
そう決め付けていたくらいだった。

それでも、最近は夏に対しての抵抗が薄れてきている。
きっと周りに夏好きの人間が増えたからだとも思う。
逆に冬好きの人間は減ってきてるのは悲しい事かもしれないけど。

夏=我慢というところがあったので、
世の中で言われるような、
いわゆる開放的な気持ちにはどうしてもなれなかった。
でも、季節によって開放されるのではなく
自らを開放してみせる。そんな風に思ってみたり。
そうすると、あら不思議。
この暑さでさえ、どことなく気持ちよく思えてくる。
我慢する事ではなく、受け入れ、楽しむこと
それが開放なんだと、まぁ、今更ながらに気付いたわけで。

何でもモノの感じ方一つで変わる。
映画も見方一つで全く違った解釈に取れるし、
小説も違った価値観で読めば、また感じ方も変化する。
音楽も耳から拾う全ての音を同時に聴いてる事はない。
それぞれの音を聴こうとすると、必然的に他が聴こえ難くなる。
でも、その分、より深い解釈を得られるようになるわけで。

そんな感じで夏をも感じてみた。

暑くて暑くて汗がほとばしり、
一瞬不快に思うこともなくはないが、
何故か暑さで流れ落ちる汗の多さが
心地よさのパロメーターになってたりもする。

人は感じ方で随分と変わるモノ。

そう実感した2005年の夏



| 想ふ処 | 12:49 | トラックバック:0コメント:2
8月15日終戦の日とホワイトバンドと石川大地と。
8月15日 終戦の日

今日は大平洋戦争の終戦日から60年目の夏。

この60年間で何が変わり、何が築かれていったのか。
その60年間の間に生まれ、20世紀を跨いで、
21世紀の未来を築こうとしている世に生き、
きっとこの先の60年間に土に還る日が来る。

生まれてから生きる数十年の年月は
生まれた時点から、死ぬその瞬間まで、
時代の背景に寄り添いながら生きていく。
いまこの世が戦乱の世の中であったとしても、
その中を生き抜くしか選択肢はなかったと思う。

色々な人生があり、
色々な背景があり、
色々な歴史がある。


そんな中を生きていくのが人生。
戦後60年後に生きる人間として、
今を生きる事しかできないし、
それで十分であり、それが必要。

ただ、
世の中には改善すべき不平等が溢れ返っている。

貧困
失業
戦争
家庭
麻薬


平等か不平等かすらをも知らない沢山の子供たちが
今も尚、ただ早過ぎる死期を受け入れざるを得ない状況にある。


8月15日に日本の戦争は終わった。

大き過ぎる傷跡を残す結果となった終戦となった。
その傷跡が歴史の悲劇を物語る。だが、
このご時世にも、その当時の日本と同じような、
もしくはもっと不条理な状況におかれている国、
そして子供達が世界にはまだまだ沢山いる。

ホワイトバンドと音楽

これについては以前にも記述したが、
ホワイトバンド活動による賛否に関して論じるつもりはない。
世界でも有数の裕福な国家である日本が示すべき道、
60年前に辿った自らの歴史を背に、もう一度見つめなおすべきだと思う。

国民一人一人の力は微力。
経済力もなければ、影響力も少ない。
でも、何よりもその意識を持つことから始めることが大事。
知識→意識になってもらっても構わない。


生まれ落ちた瞬間から、土に還る瞬間まで、
人は生を全うし、全力を捧げる。
それは裕福な国だとしても、貧しい国だとしても、
生命の誕生は平等にある。
平等な運命の下に生まれたのであれば、
貧しさに苛まれている兄弟たちの不条理さは理解できるはず。
少しに理解と、想いとを捧げる事、それが国を救う原動となりえる。

最近は少しづつだが、
ホワイトバンドを身につけている人を目にするようになってきた。
見てて思うのが、身につけている人のほとんどは何故か若者が多い。
経済観念のズレか、偏見を持たない傾向にあるからか、
街中で装着している人を見かけると、ふと妙に親近感が沸く。

人が人を憎み、妬み、差別する日から、
人が人を想い、愛し、受け入れる日へ
となってくれるのが、
一日でも早く訪れてくれるのを願うばかりだ。


| 想ふ処 | 14:28 | トラックバック:0コメント:0
音楽配信と「iTunes Music Store」と石川大地と。
音楽という媒体は形を変え、
経路を変え、一体どこに向かっていくのだろう?

iTunes

アップルコンピュータは2005年8月8日、
音楽配信サービス「iTunes Music Store」の楽曲販売数が、
8月4日のサービス開始からわずか4日目で100万曲を突破したと発表した。

アップルCEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズ氏は、

「iTunes Music Storeは、わずか4日間で
日本におけるNo.1のオンラインミュージックストアとなった。
日本の他の音楽配信サービスが1ヶ月で達成した実績の倍にあたる曲数が、
iTunesではわずか4日で販売されたことになる」


と述べている。

iTunes Music Storeは、邦楽と洋楽合わせて
100万曲を用意し、国内のレコード会社15社が参加。
90%の曲が150円で、10%の曲が200円で提供される。

単純に考えて、CD屋に足を運ばなくても
音源は安く手に入り、その上至って簡単。
更に、自分が気に入った曲だけを購入でき、
無駄買いをすることもなくなる。

音楽の楽しみ方が少し変わってきてるように思う。
今までは、聴かないからこそ、
それを気に入った時の喜びが大きかった。
このような流れになり、そういう楽しみ方は減ってしまうとは思う。
でも、楽曲のほとんどが試聴できて、
すぐに購入できる形なのであれば、
リスナーにとってはこれを利用しない手はない。

逆に、アーティスト側にとっても
非常にメリットのある形になるかもしれない。
言ってしまえば、メジャーやインディース、自主出版の垣根なく、
誰にでも発信するチャンスが与えられる事にもなる。

既存の有名なアーティストは
今の段階でも既に優遇された環境にあるのかもしれない。
でも、いずれCDという媒体を通してリスナーに音源が渡るという、
従来の流れが変わってしまうのであれば、
その時には音楽を商売としているレコード会社などの
営利目的団体にとって何よりも脅威となってしまうことは確か。

今一度、音楽の発信の仕方やリスナーへの繋がりを
再確認し、再考慮する時期にあるのだと示されているのだ。


音源の経路がどのように変わろうとも、
良い作品を世に出す価値観は変えず、
リスナーも淡白なものとして捉えらる事のないようにして欲しい。

i-podなどの流通により、リスナー型の音源へと変化していっている。
それは音楽を愛する、いち音楽ファンとしても嬉しい事なのかもしれない。
ただ、勝手に一人で心配しているのは、音楽への気持ちや想い、
そのものの存在が薄れてしまうような錯覚(?)を感じてならない。

従来、音楽というものはアーティストが、
自ら創作した楽曲をリスナーに聴いてもらうことによって
リスナーとの繋がりが生まれ、直接的な接点はなくとも、
お互いがより密接に感じられる関係が築けたのかもしれない。

もっと予想もつかないような混沌とした世界・市場への、
音楽業界自体の望まれぬ進化はあまり考えたくはない。



[音楽配信と「iTunes Music Store」と石川大地と。 ]の続きを読む
| 音楽 | 13:19 | トラックバック:1コメント:6
感動と音楽と石川大地と。
感動すること。

きっと人として生まれてきたことへの最高の褒美なんだと思う。
動物として生まれた経験はないが、人間特有の性質なんだと思う。

音楽に感動する。
映画に感動する。
人に感動する。
愛に感動する。
ささいなことに感動する。


感動すること自体、
何も負担がなく、至って自由なのがいい。
いくら感動しても何も失うものはないのだから。

感動が薄れていっている時代なのだと痛切に感じる今日この頃。
それが何が原因でそうなっていっているのかは
追求していったらキリもないし、断言できないけど、
大地が思うには、人が自由を与えられてしまった、
それ故の代償なのではないかと思う。

世の中、ここ数百年の間に、
様々な歴史が繰り広げられ、
様々な変化が起こり今日に至る。

人は『自由』を勝ち取り、そして『自由』を賛美する。
『自由』を得たことによって『自由』を守ろうとする。
そして、また繰り返し『自由』が奪われていく。


何も戦争や紛争、政治や経済観念の話だけではない。
人を個人レベルで捉えてみても、何ら変わらないと思う。
人は『自由』を与えられてきた歴史の中で生きており、
『自由』は得られるものだと認識してしまってるからだ。

『自由』は与えられるものではない。感じるもの。

物理的な自由はまた意味合いが違ってくるけど、
『自由』という観点は自分の周りを取り巻く環境ではなく
自分の中にあるの部分だと思う。

感じることに遠慮のない子供は至って自由だ。
本当の意味での自由を感じさせてくれる。
その大きくて、広くて、底なしの自由を感じる力がある限り、
人は本当の意味で感動することに躊躇しなくなるのだと思う。

子供のころはよく一人で感動することが多かったように思う。
特に小さい頃は自他認めるほどに特殊な子供だったせいもあってか、
気持ち悪いほどに感受性に関しては突出した子供だった。

Ludwig van Beethoven

地下室のスピーカーから、ベートーベンの協奏曲を聴き入っては
子供ながらに涙を流してさえいた。
それは曲や演奏の素晴らしさへの感動ではなく、
ベートーベンが作り、イメージする曲への恐怖心で泣いていた。
押し寄せるストリングス楽器、打楽器などの波に
恐怖を感じさせずにはいられなかったのだと思う。

思えば、その頃から感じることが好きだったのかも知れない。
アスファルトに生える一輪の花や雑草を発見しては、
「そこに何故生を求める?」などと、考え込んでいたくらい。

感じることを知らないまま大人になり、
無感動な人間になるほどの苦痛はないと思う。
美味しいものを食べても感動しない、
愛する人と巡り逢っても感動しない。
自分の目標に達成したとしても感動しない。

そこまで無感動な人間がいるかどうかは分からないけど
もし、そんな生活を強いられているのだとしたら、
音楽が、もしくは他の何かをきっかけとして、
感じる人生への転換への切り替えが可能になったら嬉しいと思う。

感動は神が与えし、最高の贈り物。

もし神様が存在するならば、これは紛れもない真実の言葉なのかもしれない。


| 音楽 | 12:58 | トラックバック:0コメント:0
脳内創作と石川大地と。
音楽を製作することにあたって、
イメージするところから全てが始まる。

イメージ自らが発信して求める場合と、
受動的にイメージさせられる場合とある。
どちらが良い悪いはないが、
大地はこの二つの要素のどちらも欠かせない。

いつ、いかなる時にでも
自分の中で音楽を欠くことがない。
街中を歩いているとき、
散歩をしているとき、
部屋で何かしら作業をしてるとき、
いつ、いかなる時にでも、
脳内で音楽は奏でられている。
脳内創作が常に行われている。

その全てを書き綴ることなんてできないし、しない。
ただ、自分の中から自然と湧き出てくる音楽は
これ以上にないほど自然でいて、人工的、いや、大地的?
湧き出てくる旋律の一つ一つのどれをとっても
自分の体の底から湧き出る期待感や恍惚感に満ち、
ついつい、嬉しさあまりに我が思考に更けることもしばしば。
街中ですれ違う人からすれば、変人として見られているに違いないけど。

脳内で音楽が奏でられないとき、
それは必要以上に不自然な状況にあるとき。
自分が自然を感じて、リラックスしているときは、
次から次へと湧き水のように旋律が脳内循環する。

その中で特に体が反応したのだけを選出し、
どんどんと、それを具現化していく。

おそらくは、どの作曲を手がけるアーティストも
このような過程にあるんだと思う。
それができなくなったとき、
それがアーティストにとっての苦しみになっていく。
そうして、崩れていくアーティストも数少なくない。

自然な自分でいることも大事である。
自然な自分を受け入れないと、泉は枯れ果て、
本当の自分の旋律が脳内分泌されない。

そんな苦しみを味わうほど辛いことはない。
だからこそ、常に自然でいられるように心がける。
そして、先日の帰宅途中、
街の雑踏に紛れながらも口ずさんだメロディー。
今振り返って聴くと、言ってる言葉に意味もなく、
声も唄い方も適当だが、何か自然な石川大地を感じる。

街の雑踏の中での名もなき鼻歌
↑鼻歌をUPしてみたり(笑)

やはり、自然にあることが何よりの原点なんだと強く思えた。





| 音楽 | 11:13 | トラックバック:0コメント:9
地球温暖化と石川大地と。
夏を向かえ、暑さが日に日に増していく中で、
ふと気になることがあったりする。

産業革命(1800年代)以降、
経済発展が促され、地球の表面温度が上昇し、
それに伴い大気温度も上昇を続けていった。
今や、一万年前の地球の平均温度よりも
5~7℃も高いとされている。

もし、今の時季で5~7℃低いと仮定すると、
20℃ちょっと超えるくらいがせいぜい。
そう思うと、なんて涼しい夏を迎えられることやら。

今や地球温暖化環境問題の最も深刻な問題となっている。
主には二酸化炭素の上昇によってもたらされているのだが、
先進国の中でも、日本が唯一二酸化炭素排出過多の傾向にあるという。
それに引き続き、途上国の国々も経済発展に伴い、
環境破壊を余儀なくされようとしているのが現状だ。

生きている今からの数十年の間に、
環境問題によって、生死が左右されるような、
そこまでの壊滅的な打撃や影響は考えられにくいが、
少なくとも、この先の子供たちの未来、
更に、その子供たちの未来を考えた時、
彼らが今よりも深刻な問題として対応せざるを得なくなるのは
言うまでもないのかもしれない。

経済発展がもたらした代償。
日本は豊かな経済国として成長し、
この先も国の破綻のない限り(ないとは言い切れないが)は、
今よりも環境破壊が大きく減るとは
やはり、どうしても考えにくい。

国の問題だ。

でも、国民の問題でもある。


国の政策がどうとか、
政治家や企業家の責任が問われる風潮にあるが、
もっとも影響力があり、効果も期待できるであろう、
国民一人一人の環境保護に対する意識と行動。
何よりもそれが日本を、
そして、地球を救う第一歩となるように思う。

先日、多摩自動車道を走ったときに、
道の両側に植えられている木々たちによって、
太陽光が遮断され、地表から反射される
紫外線や熱量が極めて低くなっているせいか、
アスファルトの上を歩くよりも格段に涼しく感じれた。。
風が吹けば、冷たくて気持ちがよい。
木々の葉の隙間から零れ入る光の温かさが心地よく感じる。

緑の恩恵をもう一度再確認してほしくなる。
自然が滅びることは、人が滅びることと同じ。
人というモノが、人によって作られる世界にはならない限り、
いつでも人は、自然に還るモノなのだから。






| 想ふ処 | 13:03 | トラックバック:0コメント:0
ヒロシマの記憶と終戦と石川大地と。
8月6日の明日を迎えた。

原爆投下からもう60年が過ぎた。
そして、9日後の8月15日に世界戦争が終わりを迎えた。
皮肉にも万人の犠牲を払うことで、
ようやく終戦を迎える結果となった。

原爆投機の理由は様々に言われているが、
どんな理由があっても原爆の使用を認めるのは間違っている。
どんな理由であれ、人へ、自然へ大きな破壊と悲劇をもたらす
根源となるものは必要としない世の中にしていかなければ。
繰り返すことは至って簡単。
そうやって歴史の愚かさを知るのだから。

戦争を体験した人というのは
今ではすでに少なくとも齢80歳過ぎになる。
世代交代が行われていっている中で、
戦争への関心や危惧も徐々に薄れていってるのじゃないだろうか?

戦争は体験したことはない。
が、あってはならないことであることくらい
経験してなくてもわかる。
人が人の手により血を流す
端から見てもとても悲しくも滑稽な情景だ。
でも人が人の手によって血を流す時代は終わらない。

国の情勢や経済状況などを考えると
世界の国々で価値観を統一することは難しいと思う。
宗教の存在も理解を速度を遅めている要因でもある。

どんな思考を持ち、
どんな宗教を崇拝し、
どんな国に住み、
どんな価値観を持とうとも、


人によって
人を傷つけるための
意味のない戦争は
今後ともあってはならない。

もちろん、戦争に意味があることなんて有り得ないが。

今の時代に生まれ、そして今の時代を生きている。
『自由』『希望』も価値観が違った時代、
自らイメージして具現化のできない時代、
その頃に生まれ、生きていたとすれば、
どのような人生を迎えていたのだろう。

この先、何十年も何百年も時代は変化し続け、
進化と退化繰り返していくのだろう。
再び同じ過ちが繰り返される可能性だってある。

でも、

1945年 8月 6日

世界が初めて戦争の魔力から開放された日(終戦は15日だが)。
そして、世界が初めて戦争の悲劇に気付いた日。

どんなに時代が変わっていこうとも、
過去の事実は今を築き、大きな変化をもたらした。
同じ過ちを繰り返さないためにも、
ヒロシマの悲劇は人々の心に刻まれ続けなければならない。

戦争を確実に過去の産物にしてしまうためにも。

60年前の悲劇に見舞われて亡くなった方、
そして、被爆した事によって亡くなられた方、
今も尚、肉体的、精神的苦痛に苛まれている方々、
新しい時代を生きる子供たちの一人として、
心から弔いも気持ち、感謝の気持ちを忘れません。


8月7日を迎えた今日、幸せへの新しい一歩を踏み出すために...


Dedicate to all sufferances agonized by WAR


石川大地


| 想ふ処 | 12:35 | トラックバック:4コメント:0
歌と声と曲とRichard Marxと石川大地と。
世の中、歌を歌っている人は数知れない。
とても喜ばしいことでもあり、
もっともっと歌が愛される世の中になってほしい。

歌というものはそもそも一般的な娯楽で
誰でも楽しめる娯楽として今日まで親しまれてきた。
言葉』で伝え、『旋律』で伝え、『』として伝える。
人の気持ち、想いを代弁するものとして、
または、情熱の発散目的として、歌は歌われてきた、
そして、これからも歌われていくことだと思う。

歌を歌うというのは、例外なく『自由』なことなんだと思う。
その『自由』と『情熱』を得たくて、大地も歌を歌う。

一般的に歌の技術云々はどうでも良い話なのだが、
今回は敢えて歌唄いの観点で想うところを綴ってみたいと思う。

先日にも紹介した
Richard Marx
Richard Marx2

石川大地がソロに転身してより今に至るまでも、
誰よりも歌唱法と声に影響を及ばされたアーティスト。
声が何よりも楽器であるという事を再認識させてくれた。

それだけ技術力や表現力が半端ではなく、
いちリスナーとしても、歌い手としても、
余すところなく刺激と感動を与えてくれた。

Richard Marxはその卓越し過ぎた技術と歌唱力で
一般的には好まれる傾向にないのかもしれない。
特に白人の独特なファジーボイスを織り交ぜた声質は
受け入れる人、受け入れない人、極端に分かつのかもしれない。

大地は歌を歌う際には、
歌唱』というよりも、むしろ『感じる』に近い感覚を持つ。
旋律をただ真面目に追う、発声をするなどでもなければ、
感情表現の過ぎる声を出すというでもない。
があり、雰囲気があり、楽器があり、言葉があり、
何よりも曲の『テーマ』に依存する。

曲は生き物なのだと思う。
哲学的な観点でもなんでもなく、
リズム、メロディー、間、楽器、雰囲気などが
一つに融合して曲として発信される。
そこには間違いなく『独特さ』が存在するはず。
少なくともそういう観点で曲を作ろうと努めてはいる。

そんな生きた曲に合う声というのは
生きた声でなければ成り立たない。
というか、声が曲を殺しかねないし、曲が声を殺しかねない。
相殺されるような曲ほど悲しい結果はない。

絵画の世界でも抽象画があるように、
歌もまた同じ。特に歌い手にとっては
それを感じなくてはならないと思う。

抽象=事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること

確固たる技術も必要な事も事実だが、
技術=テクニックでは決してないし、
リスナーは誰もそれを望んではいないと思う、
少なくとも大地はそう思う。
技術=独自性の確立なんだと思う。
それができた場合、誰にもない声、色が
きっとリスナーの耳に届けられるのだと思う。




| 音楽 | 13:23 | トラックバック:0コメント:0
John Mayerと石川大地と。
仲の良い友達、古い仲の友達。
そんな友達と一緒にお酒でも飲む空間に
何故か深い親しみを持たせるアーティスト、

John Mayer

John Mayer

コネチカット出身のソングライター。
ポピュラー・ミュージックからスティーヴィー・レイ・ヴォーンのブルースまで
様々な音楽に触発されギタリストとしてボストン界隈のブルース・クラブで活動を開始。間もなくしてバークリー音楽院に入学するが、
「学ぶより演奏することの方がおもしろい」と、
あっさり中退し、移り住んだアトランタで音楽活動を再開した。
ライブパフォーマンスなどが認められ1999年には
インディーでアルバム『Inside Wants Out』を発表。
翌年ルーツ・ミュージックを始め
多くのミュージシャンの見本市的役割を果たしている。
テキサス州オースティンのフェスティバルSXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)でコロンビアのレーベルAwereとの契約に成功した。

今アメリカで絶大な人気を誇る若き才能溢れるシンガーソングライターで
世界最大の音楽賞グラミー賞も受賞している。
泥臭いブルースと鮮やかなPOPSとJAZZな雰囲気にFUNKなリズム。
そして若さが醸し出すROCKなテイスト。
アコースティックなサウンドながらも
独特で非常に計算された進行やリズム。
POPでいて、でも音楽に親しんだ人間をも楽しませてくれる。
言ってみれば、ちょっと新しいタイプの音楽かも知れない。
個人的にはJohn Mayerのバックバンドのベーシストがシブくて好き。

そんな彼の音楽に出逢ったのはそう遠い昔でもなく、
去年辺り、ひょんなことから従兄弟を通じて知った。
ギターボーカルであるJohn Mayerライブ映像を見せてもらったのがきっかけで
その斬新で鮮やかなスタイルに興味を抱き、後日CDとライブDVDを購入。
そして完全にハマった。というよりは、学んだ、に近いかも。

好きな音楽からは色々なモノを吸収する。
好きだからこそ深く解釈し、深く聴き込む。
今まで聴いてきた音楽の全てが石川大地の血となり肉となっている。
そしてJohn Mayerの音楽も紛れもなく新しく吸収できた音楽の一つ。

ギタリスト顔負けのギターテクニックは聴いていて面白い。
ロックなアプローチも残しつつ、基本はブルース。
手癖やフレーズを聴けば聴くほどに、
Jimmy Hendrixに大きく影響を受けているのも分かる。
Fenderのギターから掻き鳴らされる音は素直で心地よい。
嘘のない音楽をやってる数少ないアーティストの一人だろう。
すでに音楽界では成功収めた彼だが、
更なる今後の成長と飛躍が本当に楽しみなアーティストだ。

そんなJohn Mayerは新しく結成したブルース・ ロック・バンド、
John Mayer Trio
で、12月にはライブ盤のリリースも予定されている。
9月からクラブ・ツアーをもスタートさせ、
うち3公演はThe Rolling Stonesのツアーでの
オープニングアクトを務める。
その他、Eric Claptonのニューアルバムに
Stevie Wonderと共に参加してたり、
Sly Stoneのトリビュートアルバムにも参加したりと
精力的な活動を展開している。

色々なジャンルが織り成すその音楽スタイルに
きっと親しい友との共有空間に
新しいエッセンスを盛り込んでくれるのかも知れない。
聴き込んでも、BGM的に聴き流しても心地よい音楽。
STINGにも通ずるところがあるようにも思う。
大地が一番好む音楽のスタイルでもある。
音楽こそが最も必要とされるインテリアなのだから。



| 音楽 | 12:42 | トラックバック:1コメント:0
井の頭公園の廃墟のその後。
以前、ここの記事の中で
井の頭公園の中にある廃墟を紹介したが、
先日再び訪れてみたところ、
もうすでに工事の手が掛かっており、
ほとんどが崩れ落ちていた。

螺旋状のレンガ製の階段が迎えるその廃墟は
今やもうただの崩れたコンクリの塊と化していた。

それを見た瞬間、
どことなく、言葉に表しようのないような
それほどまでの喪失感に見舞われた。

最近になって発見できた異次元空間。
そして、その異次元空間は必要とされていなかったかのように
今ではもう見事なまでに崩れ去っていた。

井の頭公園廃墟

Keep on Moving

の壁に書かれた文字が鮮明に思い浮かぶ。
あの文字を撮影しておけばよかったと今更ながら少し後悔。

ただ、今になって伝わってくるもの、
壊されてもなお、
常に時代は動き、進んでいるということ。

上の言葉のように、
過去に囚われず、立ち止まらずに進む。

今はもう廃墟と化した瓦礫の山を見ながら、
崩れ去った瓦礫の下のどこかに埋もれてしまったその文字が、
何だかそんな風に呼びかけてくれているような、
ふと、そんな感覚に触れさせてくれたような
そんな感じがした。



[井の頭公園の廃墟のその後。 ]の続きを読む
| | 22:56 | トラックバック:0コメント:4
Richard Marxと歌唱法と石川大地と。
Right here waitingNow and Forever

などの曲、知っているだろうか?
名前だけではあまり分からないかも知れないけど
聴けばおそらくは聴いたことのある曲だとは思う。

Richard Marx

Richard Marx

自分にとって、これ程に大きな影響を受けたアーティストも他にいない。
そんなシンガーソングライターのうちの一人でもある。
特にその卓越したソングライティングセンスと
歌唱力や表現力に、言葉で語れない程の影響を受けた。

自身のソロアルバムとして23歳の頃にリリースしたアルバム、
1987年のデビューアルバム
リチャード・マークスがヒットし、一躍世界のトップアーティストの仲間入りをする。
もともと両親の影響で、3歳の頃より歌の世界に足を踏み入れていた。
幼少の頃からテレビCM曲などに参加しており、
プロのシンガーとしての経歴は恐ろしく長い。

ファジー・ボイス

いわゆる、声を少し濁らせた感じを出す歌唱法。
俗に言われる、ハスキーな声に似た声質。
声を分散させ、濁らせることによる
シャワー・ボイス
とも言われているとか。
特に男性シンガーの場合は、
先天的に得られる生まれ持った天性のモノだと思われがちな声質に
強く憧れを抱く人も多い。実際に大地もその一人だった。
中には強いお酒でウガイをしたり、大声を出して声を枯らしたりして
自ら声にダメージを負わせる人も数多くいた。
そして大地もその一人だった(笑)

でも実際は単純に歌唱法の違いだったのだ。
もちろん元よりハスキーな声質の人はいる。
ただ、それに近づけることは、ちょっとした工夫でできるということ、
声の発声の仕方一つで多彩な声を出せるということを、
Richard Marxの音楽をを通して教わったのだ。

口腔で共鳴させ、息を抜く方法、
ウィスパー・ボイスにも近い声質も
George Michealを通して教わった。
性格に言えば強く影響され、見よう見まねというか、
彼らのクセを研究していく中でそのような歌唱法が見えていった。
まぁ、それなりに身に付くまでには2年くらいの歳月を要したけど。。。

シンガーにとって声は楽器
そしてその楽器を本当の意味で見つめ、
そして自ら愛すること。
それがシンガーの原点ではないかと思う。
表現や質感というものは、
自らの楽器を理解していないと
なかなか出せないもの。
人生においてもそうだと思う。
自分を理解していないと
なかなか表現も人間性も出せない。
音楽はそのアーティストの人間性をも色濃く映し出すと言われている。
声を、表現を大事にするアーティストの人間性の表れなのだと思う。


| 音楽 | 12:28 | トラックバック:2コメント:8
To whom I know around the world
For all my friends and people who I've met in the past with no clue for taking contact, this was brought for those opportunity to get in touch once again.

Mostly for my friends around the world, from Canada and Austria and the US, I'll be grateful for any kind of informations about their residence. For somehow if your the one who can recognizes my name, please don't hesitate to contact me.


Daichi Ishikawa
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PROFILE

石川大地
石川大地
自然と人と音楽をこよなく愛するシンガーソングライター。武蔵野市、吉祥寺在住。
大阪で生まれ、6歳から海外に移住し、そこで他民族、様々な文化や自然、音楽に触れる事ができ、現地での聖歌隊、ミュージカルなどの活動の中、中学時代にギターと出逢い、それと同時に曲作りを開始させる。幾多のバンドにVoとして参加し、しばらくの活動休止を経て、現在のソロシンガーソングライターのスタイルに至る。



LIVE SCHEDULE

≪2010≫

6/26(土)表参道LADONNA


6/19(土)渋谷LANTERN


5/22(土)渋谷LANTERN


1/23(土)渋谷LANTERN


≪2009≫

10/17(土)渋谷LANTERN

8/2(日)渋谷SNOOTY FOX

7/25(土)渋谷LANTERN

5/2(土)渋谷LANTERN
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